
この記事では短歌のフィクション・ノンフィクションについて、
私の考えを書いています。
ここから書く内容はあくまで個人の意見ですので予めご了承ください。
短歌はノンフィクションじゃなきゃダメ?
短歌は自身の見たものや聞いたものをベースに詠むことが多いと思います。
ただ時には想像していることが「歌になるかも」と思う人。
あるいは実景に「演出(嘘)」を足した方が歌になると思う方もいるんじゃないでしょうか。
あくまで私個人の意見ですが短歌はフィクションを詠んでもよいと思っています。
短歌は漫画や小説と同じ「表現手段」
世の中には漫画・小説・映画など沢山の表現手段が溢れています。
私は短歌もそのなかのひとつだと思っています。
漫画にはフィクション・ノンフィクション、フィクションのなかにも日常系・ファンタジーなど沢山のジャンルがあります。
だから短歌のなかにもそういったジャンル分けがあっていいと思うんです。
短歌のフィクション・ノンフィクションの線引き
そもそもフィクションとノンフィクションの線引きはどこにあるんでしょうか。
例えば「春のベランダに花びらがあった」景色を歌に詠みます。

上記の歌はなるべく「見たまま」を詠むように意識しました。
では次のように詠むとどうでしょう。

上記の歌では風や花びらをひとに例えるような表現に加え、花びらが「一枚二枚」だという「嘘」を盛り込みドラマがあるように見せてみました。
では次の歌はどうでしょう。

上記の歌はベランダを「王宮」にしそこからイメージを飛躍させ詠みました。パッと見はファンタジーですが下地になっているのは実景です。
この歌はフィクションになるのでしょうか。ノンフィクションになるのでしょうか。
判断は詠んだ過程を知っているか否か、そしてそれをどう受け止めるか。ひとそれぞれ違った答えになるんじゃないでしょうか。
想像の下地には「自分」がいる
実景から飛躍させるにせよ、実景もなく想像をするにせよそれを考えるのは必ず「自分」です。
そういった意味ではこの世に完全なフィクションは存在しないのかもと思います。
ひとがつくる以上、そこにはひとの経験や思考が入り込むもの。
どんな形であれ「自分」が詠みたいと思って詠んだのであれば、フィクションかノンフィクションかにこだわらず自分の作品と胸を張っていいのではないでしょうか。
最後に
いろいろ小難しいことを並べてしまいましたが、なんにせよ「自分が詠みたいものを詠む」のがベストです。
実景をなるべく美しく伝えたい写真家のような歌人もいれば、想像上で美しいシーンを作る演出家のような歌人もいていいと思います。そしてそれを使い分ける歌人がいたっていいんです。
短歌は想像以上に自由です。形にとらわれず詠みたいものを詠んでいくうちにあなたに合った形がわかってくる、あるいは詠んでいくうちに自然と自分の「色」がにじみ出てくると思います。
興味を持ったらまずは詠む、あるいは誰かの短歌を読んでみましょう。
触れてみないとわからない。沢山のことがあなたを待っています。